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前回の続きです
その頃 先進国では、自動車の排気ガスによる大気汚染が社会問題となっていました。
アメリカでは大気浄化法(大幅に排気ガスの有害物質を減らした自動車以外販売出来ない)所謂「マスキー法」(提案した上院議員の名前が由来)が成立しようとしていました。
これには、フォード・GM・クライスラーのBIG3でさえ 実現不可能とアメリカ連邦議会で訴えます。
『N360の欠陥車騒動』で窮地に追い込まれた本田技研は、「マスキー法」をクリアするエンジンの開発に社運をかけます。
1964年 本田技研は日本の自動車メーカーで初めてF1参戦し、1965年メキシコGPで初優勝していましたが、F1からも一時撤退。
技術者も予算も全て低公害エンジン開発に集約し、1972年CVCCエンジンの開発に成功します。

「バイク屋はバイクだけ作ってろ!」と言われた最後発の自動車メーカーが、アメリカのBIG3も成し遂げられなかった低公害エンジンを開発し「マスキー法」を世界で最初にクリアしました。
この頃 本田宗一郎と若手技術者との間に有名な『空冷・水冷論争』が起こりました。
これを機に本田宗一郎と藤沢武夫が、若手に全てを託して引退します。



ただの企業イメージCMのように見えますが・・・・・
BEATが出てくることもあり 好きなCMです。


LD「わが友本田宗一郎」のジャケットの裏面
現役時代怒鳴ってばかりだった本田宗一郎でしたが、1991年5月BEATの開発担当者に「いい仕事したな!」と声を掛け その年の8月この世を去りました。

参考図書 

井深 大 著「わが友本田宗一郎」

藤沢 武夫 著「経営に終わりはない」
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前回の続きです
S500は、その後排気量アップと改良が施されS600、S800として販売され ヨーロッパ各国にオーナーズクラブがある日本車で初めて欧州で評価された「名車」となりました。
その後も1967年軽乗用車N360が大ヒットし、本田技研の四輪進出は順風満帆のように見えました。
しかし 「日本自動車ユーザーユニオン」がN360に操縦安定性の面で重大な欠陥があると指摘。 
1970年、N360を運転中に死亡したドライバーの遺族が、未必の故意による殺人罪で本田宗一郎を東京地方検察庁に告訴。
この問題は、アメリカで社会問題になった「欠陥車問題」の影響とされていますが・・・・・
タッカーと同じ何かを感じざるを得ません。
結局 裁判は不起訴に終わりましたが、市場にはHONDAの四輪は欠陥車という 誤ったイメージが定着してしまい販売不振でこのままでは、タッカーと同じ運命に・・・・・・
まだまだ つづく
前回に続き また古いLDを観ました。
日本版「タッカー」の話(こちらは潰れずに健在ですが)



1961年本田技研は、オートバイレースの最高峰イギリス マン島で開催されたTTレースで125ccと250ccで優勝し、この勢いを駆っていよいよ四輪進出を計画します。
ところが当時の通産省(現 経済産業省)は、特振法(特定の産業・・・例えば自動車産業に新規参入を許さず、合併統合を奨励し自動車会社の大規模化を図ることで、国際競争力をつけようという法案)を国会に提出しよとしていました。

本田宗一郎と藤沢武夫はこれに反発!!

また当時 消防車両に使う「赤」と救急車や警察車両に使う「白」を乗用車に用いることが禁止されていました。
本田宗一郎は先進国でこんな事をやっている国は無いと 当時の運輸省(現 国土交通省)にも嚙みつきます。

当時 多くの四輪、二輪メーカーは、通産省、運輸省からの天下りを受け入れていましたが、本田技研は受け入れていませんし、政治家に献金もしていませんでした。
政官にパイプを持たない本田技研は、永久に四輪進出の機会を奪われる可能性がありました。

この難局を藤沢武夫のアイディアが救います。
「S500価格あてクイズ」(正解者にS500をプレゼント)に574万通の応募が有りました。
これには、通産省の役人も驚き 結局「特振法」は廃案になります。

そして1963年「赤」と「白」のオープンスポーツカーがHONDAから発売されます。

・・・って自分が産まれる前の出来事をこの眼で見たように 書きましたが
中学生の頃から通っていたオーディオ屋のオヤジさんが、オーディオの話だけではなく、よくこの話をしてくれました。
普通 何度も何度も同じ話を聞くと 「また同じ話か」 ってなりますが、不思議と「何かこの人は重要な事を必死に伝えようとしている」と感じました。

つづく
2019年6月以来の更新になります。

久しぶりにレーザーディスクを観ました。

『タッカー』(Tucker: The Man and His Dream)
フランシス・フォード・コッポラ監督1988年

『タッカー』はAmazon primeで御覧になれます。(レンタルまたは購入)
主人公プレストン・トマス・タッカーが、第二次世界大戦直後に自らの理想とするファミリーカーを開発・量産を試みるも BIG3(フォード・GM・クライスラー)の政治的圧力で会社を潰されてしまう実話を基にした映画です。

映画の後半「実在しない自動車を売ろうとした」として法廷に立たされたタッカーは、自ら最終弁論に立ち
「もし大企業が斬新な発想を持った個人を潰したなら、進歩の道を閉ざすばかりか自由という理念を破壊することになる。こういう理不尽を許せば、いつか我々は世界ナンバーワンから転落し、敗戦国から工業製品を買うことになる」と陪審員達に訴えます。

この映画が撮影された1980年代 アメリカの自動車産業は、日本車やドイツ車に押されっぱなしでした。
映画を制作した人達の心の中には、もし この時BIG3が政治力ではなく、製品自体でタッカーと勝負していたら・・・・・こうはならなかったのではないか?
という思いが、あったのではないでしょうか?

自由の国アメリカの自動車産業で、こんな事が起きたのですから 日本でも当然同じような話があるわけです。

次回はその話を
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